川越病院は京都府史下(大正4年10月22日発行)によると
「私立京都癲狂院 明治15年10月府立癲狂院仮病舎の廃止に当たり、医師李家隆彦卒先有志と謀り、其の後を襲ひ専ら癲狂治療のことに当たらんことを企て、其の旨を申請せしかば本府は之を許し、器具設備等を其の儘之に譲渡したり。
茲に於い南禅寺方丈より永観堂内に移転し、私立京都癲狂院と名づけ、李家隆彦自ら院長となりて病者の治療に当れり、其の後数代の院長を経て川越直三郎に及び、大正2年2月7日京都市上京区浄土寺町(現在:京都市左京区浄土寺馬場町)に移転し、大正3年川越病院と改名せり。今現に存するもの是なり。」と記されている。
建物は解体されたが川越病院は100年の歴史を経て現代に至っている。